1998
第一期 G MINATO B JUN VO ナカヤマ Dr ユージ LAガンズ、モトリークルーなど80年代メタルのコピーとオリジナルを混ぜながら、荻窪のライブハウスでROUTEを始動。 二十歳そこそこになったばかりであったMINATO、JUNではあったが、30歳代の多くのメタルマニアが固定ファンとなり、「80年代の華やかさと日本の歌詞をヘヴィに融合させた、今までにないバンド」と絶賛を受け、少ないライブ数で第一期は終わるものの、上々の滑り出しと評価を受ける。数回のライブ後に、VOナカヤマが脱退。 1999 第二期 G MINATO B JUN VO イズミダ Dr ユージ 完全オリジナルに移行し、高円寺で活動を再開。当時横行していたミクスチャーに感化されたVOイズミダの加入により、ROUTEの歌にラップが導入される。メタルマニアなファンからは否定的な見解はあったが流行にも乗り、支持者も多数に上る。数回のライブ後に、Drユージが脱退。ラップを追求するVOイズミダと、フォロワー的な流行り物を拒絶するMINATOとの間に確執が生じ、VOイズミダがその後キレて脱退する。 2000 第三期 G MINATO B JUN VO ツヤ Dr リットル→伯爵 MINATOの旧友のVOツヤ、Drリットル(ヘルプ)を迎え、第三期ROUTEを再開。VOツヤが持ち込んだ咆哮と、ヘルプではあったが、DEATH、グラインドコアの洗礼を受けたリットルの重厚なドラムにより、最もヘヴィネスな時期はこの頃であった。都内ライブハウスで月3本ペースでのライブ活動を行う。 その後Dr伯爵が加入。 感情が如実に表れる気迫のステージは、気合重視のメンバーと意気投合。最速のツーバスで伯爵の右に出る者は当時誰もいなかった。結果バンドの士気を大いに高める事となり、更に音圧は増したのだった。 乗りに乗っていたROUTEは、来日バンドのオープニングアクトに数回起用され、大成功を収める。この頃地元八戸へ遠征ライブをも敢行し、こちらも大成功に終わる。 2001-2003 第四期 G&VO MINATO B&VO JUN Dr&Cho 伯爵 更なるアバンギャルドなスタイルを求め、ツインヴォーカル、3ピースバンドへと方向転換をする。第一弾デモテープ「暴走国道」がレコーディングされ、ROUTEの代表曲6曲が音源として完成。 キャッチーなリフと刻みの融合が印象的な「最期の階段」や掛け合いを初めて意識したミディアムナンバー「SEX.OR.DIE」、「この野郎」で発せられる腐敗した大人社会への批判、「完全燃焼」で締めくくる4字熟語な日本語歌詞も、ROUTEにしか出来ない音、ROUTEだからかっこいいスタイルと、デモテープを聴いたファンにより支持を受ける。 バンドのスタイルがほぼ確立した感のあるデモテープを引っさげて、都内で精力的に活動。ファン層も着実に幅広くなっていく。 激しいヘッドバンキングが業界関係者の目に止まり、幾多のテレビ出演依頼を受ける。(一度ぷっすまという番組に出演したが、それ以降の出演依頼は、多忙につき出演拒否) 動員数を増やしつつ、更に上を目指そうとするも、Dr伯爵が一身上の都合により脱退。活動休止になる。 その後ドラム不在のままバンドは宙に浮いてしまい、メンバーは各々他のバンドに散って行った。 その後、単発でLIVEイベントなどにROUTE名義で参加をするも、全力疾走出来る道をバンドが模索できたわけではなかった。 しかし2007年、代表曲である「最期の階段」「S.O.D」がレコーディングされ、復活第一弾シングルを3月に完成させる。 そしてかねてから口説いていたドラマー、魔王を迎え奇跡的且つ最高のテンションで復活。 2007/4/29のLIVEも大成功に終わった。 これを起爆剤に暴走国道を突っ走る計画中である。 #
by route4osorezan11
| 2007-05-05 15:48
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